「エルサレムの旧市街とその城壁群」 イスラエルの首都エルサレムは世界3大宗教の聖地

エルサレムと急に言われても「えっ!何それ?」と感じる方は少なくないと思います。
キリストが貼り付けにされた丘のある街と言ったほうがイメージが湧くかも知れません。
今回は世界遺産にも指定されている「エルサレムの旧市街とその城壁群」を紹介します。

エルサレムの旧市街とは?

イスラエルと言えばパレスチア問題やテロなどの物騒なイメージを持っている方が多いかもしれません。
そんなイスラエルの首都は、宗教都市であり世界遺産の街でもあるエルサレムです。
地中海に面した国で商業都市テルアビブは海沿い、首都エルサレムは内陸部にあります。
近代的な建物が目に付くエルサレム新市街と、古代オスマン・トルコ時代に造られた城壁に囲まれたエルサレム旧市街は全く雰囲気が異なります。

外部から城壁内に入れる門は全部で8つあります。
門を潜り抜け城壁内に足を踏み入れると、景色が一転し歴史を感る建物が建ち並びます。
旧市街には3大宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が在り、北東のモスリム地区、北西のキリスト教徒地区、南西のアルメニア正教徒地区、南東のユダヤ教徒地区に別れています。

世界中から聖地への巡礼を目的とした信者が集まる宗教都市なので、一般的な観光地とは全く違う雰囲気が漂います。
お世辞にも広いとは言えない城壁内部での異教徒同士は、不思議なバランス感で保たれていて、常識的な振る舞いをしている限りでは危険を感じることはありません。

エルサレム旧市街の成り立ちや歴史的背景とは?

エルサレムは紀元前30世紀頃に造られた古代セム系民族の集落が起源と言われています。
紀元前10世紀頃にダビデ王やソロモン王で有名なヘブライ王国が建国されました。
その後王国は分裂、新バビロニア王国やアレクサンドロス帝国、ローマ帝国などの支配下に置かれます。
その後ローマの宗主権の元でヘロデ王がヘロデ朝が建てられます。
イエス・キリストが誕生したのはこの時期です。

ユダヤ戦争が起こり、ユダヤ人はエルサレムで抵抗しますが結局ローマに敗れます。
エルサレムへの居住を禁止されたユダヤ人は、ローマがユダヤ神殿をユピテルの神殿に建て替え、都市名を変更しエルサレムの再建を計画していることを知り、再び反乱を起こしますが失敗しエルサレムの地を追われ世界中に離散します。

19世紀に入りヨーロッパでシオニズムが高まりを見せると、多くのユダヤ人が聖都エルサレムに移住しました。
第一次世界大戦でオスマン敵国が敗れ、国際連盟決議でイギリス委任統治領パレスチナとなりエルサレムに首都が置かれました。
第二次世界大戦後には国際連合のパレスチナ分割決議を受けイスラエルが建国されます。
その後3度の中東戦争を経て、イスラエルはエルサレムを実効支配し首都に制定しました。
しかし国際連合をはじめとする多くの国家はこれを認めていません。

エルサレムは3大宗教全ての聖地であることが、複雑な問題を生み歴史的にも紛争の火種と成り続けています。

エルサレム旧市街のおすすめスポットは?

宗教都市エルサレムの魅力は何といっても「3大宗教の宗教観」を体験できることでしょう。
真剣なまなざしで深い祈りを捧げる信者たちの姿を見ると心を打たれます。

嘆きの壁
ユダヤ教徒地区の東端にあるユダヤ教の聖地の1つで最も有名な場所と言えるでしょう。ローマ帝国に破壊されたエルサレム神殿の外壁の一部が残されています。
ユダヤ教徒以外でも入場できますが、男性用と女性用に入口が分かれ男性は頭の上にキッパと呼ばれる帽子の着用が求められます。
入口の近くでレンタルしてるので準備の必要はありません。

聖墳墓教会
325年頃にローマ皇帝の命令でキリストが処刑されたゴルゴダの丘であったとされる場所に立てられた教会です。
3つの異なったキリストの聖地を連結した巨大な教会で、ロタンダと呼ばれるドームは4世紀末に完成しました。
イスラム教の支配下にあった時代には、ドアや屋根が燃やされ10世紀には教会自体が無くなりましたが、約40年後に復活しヨーロッパからの支援を受けながら大きくなっていきました。
有名な十字軍の遠征はこの聖地への巡礼であったと言われています。
現在はカトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会が共同で管理していて、1日中ミサや聖体礼儀などが行われています。

岩のドーム
アブラハムが息子を神に捧げようとした台であるとユダヤ教で伝えられる「聖なる岩」の上に「契約の箱」を収めたソロモン王はこの場所にエルサレム神殿を建設しました。
その後エルサレム神殿はローマ軍によって破壊されるのですが、688年にイスラム教徒の手によってこのドームが建てられました。
オスマン朝に支配された15世紀には、イスタンブールから呼び寄せられたタイル職人たちの手によってトルコ製のタイルでの装飾が施されました。
11世紀以降に何度か修復されていますが、創建当時のデザインを守りイスラム美術特有の幾何学的装飾は全く施されていません。